アメリカのほほん手帖

アメリカ東海岸在住16年、暮らしの諸々について綴ります

音楽のオファリング@アメリカの教会

しばらく前にアメリカのキリスト教会の会員になった。”教会の会員になった”と聞くと、もしかしたら日本では、ちょっとカルト系組織のイメージになってしまうかもしれないが、アメリカではごくごく普通のことである。日曜の遅い午前ともなると、教会から出てくる人達の車で渋滞が発生したり、それをポリスが交通整理する姿もよく見かける。スポーツジムやお店も日曜の午前中は閉まっている場合が多いし、私の住む州では、お酒の販売も日曜の午前中は禁止されている。

かく言う私は、仏教徒の家に生まれ、私の実家は神社の氏子でもある。大晦日には除夜の鐘を聞きにお寺へ行き、年明けには初詣に神社へ出かけた。決して熱心な信徒ではなく、何かある時にだけ仏教や神道が日常に関わってくるような、宗教とは、近くて遠い存在だった。

そんな私は、宗教は何かと問われれば、”私は仏教徒”と答えるし、日本という国で、神道の影響も受けながら育ってきたと自覚している。仏教寺院や神社、また、例えば、いろいろな国で観光名所となっているキリスト教会などを訪れるのは大好きである。教会のサンクチュアリやお寺や神社の境内の何とも言えない静謐さや美しい庭や建築物や美術品を眺めるのが好きだ。その昔、バチカン近くのローマのホテルに泊まって、丸々2日間バチカン通いをしたこともある。

さて、今所属している教会はキリスト教の一派であるが、私の様な仏教徒や夫の様な無信教者でも受け入れてくれる何とも寛容な教会で、違う道でもスピリチュアルの道を探求していくことは一緒にできると考えているようだ。かなりリベラルな教会とも言え、私の所属するところは男性牧師だが、他の系列教会では女性やLGBTの牧師さんもいるし、教会全体としては人種差別をなくす為の活動やホームレス支援、環境問題にも積極的に取り組んでいる。

私は月一ぐらいでしか教会の礼拝に参加しないのだが(600名のメンバーを抱え、毎日曜は午前中に2回の礼拝がある)、この礼拝では(神に捧げる)音楽のオファリングがある。全員で讃美歌やその他の歌を歌ったりもするのだが、それ以外にも、音楽ディレクターがピアノ、パイプオルガン、フルート、はたまた、古典楽器やアフリカのドラムを用いて、様々な曲を演奏してくれる。聖歌隊のメンバーもピアノ伴奏での歌やアカペラで、いろんな美しい曲を披露する。先週は、礼拝のテーマが、”宗教的寛容の実践と選択の自由”ということで、15世紀のハンガリーでの布教に貢献した人物やそれを守った当時の国王の言葉や考え方が披露され、聖歌隊の歌う歌もそのハンガリー王の言葉にメロディーを合わせたものだったりした。全くなじみのないハンガリー語の歌は、しかし、美しかった。

この神への音楽のオファリング(捧げもの)、その奏でられる音楽のレべルは高く、神でなくても、私の様な普通の人間でさえも、その音を受取るのが毎回楽しみだ。実は私が時々教会へ通うのは、この音楽に触れたいからかもしれないと思う。音楽は、人種も言語も宗教さえも超えて共鳴し合う特別なパワーを秘めているのであろう。♪♪♪