アメリカのほほん手帖

アメリカ東海岸在住16年、暮らしの諸々について綴ります

子供が巣立っていき、我が家は空の巣となってしまった(Empty Nest)

約1年4か月ぶりの記事である。2020年の5月、コロナウイルスの感染拡大で、未知のウイルスへの恐怖と、これから世の中は一体どうなっていくのだろうという不安な気持ちの中で過ごしていたが、そんな中、花を活けるという、新たに始めた趣味の世界に没頭する時間を持つことで、私の心はかなり癒され、コロナ禍の不安から多少なりとも逃げることができた。花を活け、せっかくだからと、記録として携帯で写真も撮り、その写真をアップロードする為にInstagramも始めた。時間があるとああでもない、こうでもないと自己流の生け花にいそしみ、時間を見つけてはインスタ用の写真を撮り、気に入った写真をInstagram上に並べていった。そんなつもりはなかったのだけれど、気がつけば、生け花にエネルギーを注ぎ込むにつれ、ブログに費やす時間とエネルギーが途絶えてしまっていた。(そうして1年以上もブログの更新もせずいたのに、その間もこのささやかなブログを覗きに来てくださった方が、少なからずいてくださったことに、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとうございます。)

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ダリアとアネモネ

 

2021年の春にコロナワクチンの接種も済ませ、少しづつではあるが、私と家族の暮らしにも、元の日常が戻ってきている。夏には仕事も在宅勤務から週3日会社へ通勤するハイブリッド勤務となり、ジムも再開し、レストランや映画館へも行けるようになった。屋内ではマスク着用など、まだまだ注意は必要だが、日常生活にそこまでの不自由は感じない。そんな中、回数こそは減ったが、今も花を活けることは私の生活の中で大事な部分を占めている。コロナ禍の非日常が私の元に連れてきた花の世界は、今では私の日常となり、更なる試練を乗り切るのを手助けしてくれているのである。

さて、更なる試練というのは、一人息子の大学進学である。彼が大学に巣立って行ってしまった後の、空の巣となってしまった我が家で暮らす私と夫にとっての試練のことである。

息子は、コロナ禍の2020年に高校の最終学年(シニア)を過ごしたが、その間、授業は自宅から全てリモートで受講、当然クラブ活動もなく、バイオリンの個人授業もオンラインでと、ほとんど自宅から外に出ることはなかった。友人達とのつながりも、これまた主にオンライン上のゲームの時間という、実にいびつな高校生活を送っていたのだ。授業にも全く身が入らない様子で、親としてはやきもきするが、唯々見守るくらいしかできなかった。アメリカでは、いやアメリカだけではなく、世界の他の国々の多くの子供たちが多かれ少なかれ、同じような不自由な境遇に置かれていたのだろうと思う。そんな中、2020年の秋に大学受験があり、2つの大学に願書を提出、翌1月には無事に合格通知を受取り、第一志望の大学に進学できることとなった。空白と言ってもいい高校シニアの半年を経て、ようやく希望の明かりが射した2021年の始まりであった。

アメリカの高校は6月に卒業式が実施されるところが多い。2021年6月、数百人の卒業生とその保護者が屋内で集うということで、大きな会場を借りての息子の高校の卒業式の開催はぎりぎりまで危ぶまれたが、全員マスク着用で実施された。ガウンと角帽(goun and cap)を着けた卒業生たちの顔はみんな誇らしげで、輝いていた!そして、卒業後の彼の2か月間の長い夏休みは、生まれて初めての近所のアイスクリーム屋さんでのアルバイトと再開されたばかりのジム通いと友人達との集まりで、毎日外出続き。コロナ禍で不自由を強いられた時間を取り戻すかのように、自由を満喫していた。一緒に過ごせる時間はぐんと減ってしまったけれど、生き生きと過ごす息子の姿を目にした私は、心底ほっとしたものだ。

そして、8月中旬、いよいよ彼は大学へと巣立っていった。準備でバタバタと忙しくしている内に、引越し当日がやってきて、息子はあっという間に我が家からいなくなってしまった。あっけないものである。寮へ荷物を運び入れるのを手伝い、我が家に戻ってきたら、即、夫婦二人と猫4匹の新たな生活がスタートしたのである。空の巣(empty nest)とは言い得て妙、我が家は本当にEmptyとなった。ついでに私の心の中の一部分もEmptyとなってしまった。ふと見ると、夫も寂しそうにしている。

アメリカでは、高校を卒業後、特に4年制大学へ進学する場合、子供達は大概家を出る。大学が自宅から通える場所にあっても、最初の1年間は寮生活を送るようになっている大学も多いようだ。一旦親元を離れ、集団生活を送ることで自立を促し、大学生活への移行をスムーズにするのだろう。これまで親元でぬくぬくと暮らしてきた息子も、二人一部屋での寮生活がスタートし、カフェテリアでの食事、部屋の片づけや洗濯、決められた範囲内でのお金のやりくり、シャワールームやトイレの共同利用等、自由と責任が隣り合わせの集団生活で、楽しさと苦労の両方を味わっているに違いない。

そして、残された親たちは、Empty Nesters、つまり、空の巣を守る親鳥として、寂しさを噛みしめるのである。息子が巣立って約2か月、私の心の寂しさも少しづつではあるが、薄らいではきているように感じる。子離れとはこういうものかと、自分自身の心の穴を覗きながら、冷静に考える余裕も少しは出てきたようだ。とは言え、寂しさはきっとずっと存在し続けるだろうし、それをどこかに抱えたまま日々を送っていくことになるのだろう。Empty Nestersとして、同じ寂しさを共有する夫と、4匹の猫との空の巣での暮らしの中で、小さな幸せを見つけながら生きていくのだろう。